サイクリングとびしま春吉ライドの中村春吉って何者??
4月、とびしま海道では春吉ライドが行われます。
御手洗出身の中村春吉。
世界一周無銭旅行した初めての日本人で、御手洗はサイクリストの聖地として、たくさんのサイクリストはが訪れます。
世界一周無銭旅行って何??
中村春吉ってどんな人なの??
ということで、『中村春吉自転車世界無銭旅行』を読んでみました。
中村春吉はどんな人物か
身の丈 5尺6寸
長き髪は肩まで垂れ
逆立つ虎髭に古びた旅行服
顔色はインディアンを欺く程真っ黒に焦げ
野宿する様々な道具を結びつけたランブラー式の自転車に跨がり
その自転車の後部に日本の国旗を翻すその姿は、
東洋の猛獣が来たと思われる
勝手にですが、当時このような服装は普通だと思っていました。
しかし、読んでみるとかなり異様な格好だったようです。
怪力
御覧の如く、僕の身体は岩石の如く、小石など飛んで来たとて、容易に傷つけることはできないと思う。
と、自分で言っていたようです。
また、拳にかなり自信を持っていたようです。
拳があれば拳銃などいりますまい。
どんな者が来ても怖くない。
元来僕には天賦の怪力がある。
相撲を取ってもほとんど負けたことがない。
腕押しや棒捻りなら誰でも来いです。
少年時代には随分乱暴で、近所の百姓を苦しめに来た無法な高利貸しの頭をボカンと殴ったら目を回した。
世界一周を目指した理由
ただの好奇心ではなく、世界的日本人となり、日本の大利益を計りたい。
日本は地球上の極東に位しているが、世界随一の海国である。
その地勢からいっても人種の膨張力からいっても他日天下へ覇をとなえることのできる国柄だと信ずる。
しかし遺憾なことには国土が狭小で富力が足らず、どこに富源を見出したらよかろう、如何なる方法で富源を探ったらよかろう…。
これが世界一周を目指すきっかけです。
スケールがデカすぎる…(;゚д゚)
実は世界一周の前に日本一周していた
今まで欧米人で、自転車世界一周をした人は数人あるから、前例のない訳でもないが、彼等の多くは充分の旅費を懐中にし、文明国の平坦な道路を選んで通り、野蛮国の奥へ進めた者は一人も無い、随って其の旅行記など、あまり僕の参考にはならぬ。
僕は以前から自転車には乗っていたが、愈々自転車で世界一周をやる事に決心すると大いに練習に励んだ。
また、世界に乗り出す前には是非とも内地の事情も能く知って置かねばならぬ、例えば其の地の商人から、伊万里焼は何処が産地でどのようにして作られるのか問われたときに、それは一向存ぜぬと頭を掻くようでは仕方がない、詳しいことは知らぬ迄も大略知っておらねば甚だ不都合だ。
トレーニングと勉強を兼ねて日本一周をしています。
心構えが素晴らしいです。
私ももっととびしま海道について勉強します(>_<)
実はこっそり旅に出ようとしていた
どうもお前の近頃の挙動が頗る怪しい、一体何を企んでいるのか。昔なら内々謀叛を企んでいるのではないかと、厳しく糾問するところだが、今日の御世ではマサカそんなことはあるまい、ひょっとしたら外国へでも飛び出す計画ではないか。
バレバレだったようです(^-^;)
なので素直に白状しました。
実は商業視察のため自転車に乗って世界漫遊の途に上る積もりです。
それでは充分準備をして途中であまり困難の無いようにして行くがよい。
無銭で行くことは秘密にしたままだったようです……。
無銭旅行のルール
僕の畢生(ひっせい)の目的が無銭旅行なら、成る程少しでも他人の補助を受け手は値打ちが下がるかも知れぬが、無銭旅行を畢生の目的とする馬鹿者が何処にあるものか、そんな区々たる名義はどうでもいい、僕の将来に横たわる大望を成就する便益の為には、時に正当の補助を受けるは当然のみ、僕は受けるべき物は受け、受けるべからず物は断じて受けぬから、天に対して少しも恥ずるところは無い。
但し僕は如何なる場合に臨んでも、外国人の補助だけは断然拒絶することにした。
日本人中村春吉がわが同胞の正常な後援により首尾よく其の目的を遂げたというなら、之少しも不名誉にならん、却って大いに快とするところだが、少しでも外国人のお情けを受けたとあっては頗る心持ちがよくない。
日本人として、日本の代表として世界一周をしたいという熱い思いがあったんですね。
自転車には何を装備したのか
カバンの中身
生米一斗二升
砂糖
食塩
うどん粉
梅干し
鰹節
高野豆腐
ろうそく
きなえん
ヨードホルム
石炭酸
包帯
絆創膏
麻糸
畳針
その他
角灯4個
天幕
敷物
吊り網
蚊帳
鹿毛皮
空気枕
細引き三丈
重量合計21貫5,600目(1貫目が約3.75㎏なので約80.625㎏)
ほぼ2人乗りの重さ……(;゚д゚)
どのルートで世界一周したのか
横浜港から紀伊海峡、瀬戸内海を経て上海へ。
すでに大陸に着いたので、ここから自転車で旅行を始めてもよいのだが、上海から香港に至る迄の間は、道路坦として砥の如く、ハイカラ小僧でも、居眠りしながら自転車を走らすことのできる場所だから、そんなところを仰々しき出で立ちで旅行したとて面白くはない、且つは香港へ着いた上で、少々事情を取り調べ、もし都合よくば先ず豪州へ渡って見ようかという計画もあったから、再び船に乗って香港へ向かうことに決めました。
自転車まだ漕がんのか~い!
香港行きの船の中で出会った日本人にオーストラリアは上陸が困難だからやめておけと言われる。
「インドを視察する予定なら先にそちらへ行きなさい。シンガポールまでの船代は私が寄付します。」
シンガポールからいよいよ自転車の旅が始まります。
日本人中村春吉、自転車世界一周旅行中、ここ(マレー半島の山の中)に立ち往生して、拳骨の絶壁を砕く能わざるを怒る
…という文句を遺し、歯噛みしながら僕はシンガポールへ引き返しました。
出鼻をくじかれたようです…。(・・;)
ラングーン(ヤンゴン)へ行くためにワークパッセンジャーになる。
ラングーンからカルカッタへ
カルカッタへ着いた時、僕のランブラー式の自転車は既に大破損を生じ、用意して来た小道具ぐらいではどうしても修繕できぬ、財布の5円と86銭と5厘は、先日ラングーンの旅館へ泊まったとき、大半を使い捨て、余すところ1円にも足らぬ……。
破損自転車を引き摺って市中をブラブラ歩いていると、折から通りかかったのは、当地在留の金子君という吾が同胞の一人、端もなく金子君に見つけられ、それは困るだろう、兎に角僕の家へ来玉へ来玉へと、親切にも同君は、初対面の僕を其の家へ導いて呉れました。
そんなに日本人がいるの??
強運過ぎです(;゚д゚)
ボッドガヤからジャバルプル
ちょうど山の中腹頃まで下ったと思う頃、急に横手の林の中から飛び出して、疾風の如く走って行く自転車にぶつかった怪獣がある。
…………
何とハイエナを生け捕りにしてしまいます(;゚д゚)
(現地の動物商人)マホメダン君よっぽど欲しそうな顔をする故、僕は占めたと思い、では一匹呉れてやるから、その代わり他の一匹を、在ボンベイの日本領事館まで至急送り届けてくれぬかと頼むと、宜し宜しと受け合ったです。
ジャバルプルからボンベイ(ムンバイ)へ
途中、今度はジャッカルに襲われてまた生け捕りにしたそうです(;゚д゚)
ハイエナは上野動物園で飼育されることになりました。
ジャッカルは死んでしまったそうです。
スエズ運河からナブールへ
税関で引っかかっていると、またまた日本人と偶然出会い助けてもらいます。
ローマ、マルセイユを経てパリへ
パリからリバプールへ
ボストン、ニューヨーク、シカゴ
サンフランシスコから横浜へ
ここまで読んでくれた皆様、本当にありがとうございます!