とびしま海道の歴史②【上蒲刈島・蒲刈町】
1889年
1891年
蒲刈島村が上蒲刈島村(向浦地区を除く地区)と下蒲刈島村(下蒲刈島と向浦地区)に分離し広島県安芸郡上蒲刈島村が成立。
当時、地区間の移動はほぼ航路のみで、村民はことあるごとに役場のある下蒲刈島三之瀬地区まで足を運ばなくてはならず、負担が大きいため分離運動が盛んになった。
三之瀬から最も遠い大浦から始まり、やがて大浦、宮盛、田戸の分離賛成派と、下島、三之瀬、向の分離反対派で対立することとなった。
しかし、下島の人民総代「織田倉松」が人民全体のことを考えて、分離運動に加わることで、分離が実現した。
1947年
当時、石灰やみかんの生産で経済的にうるおい、人口がほぼ倍もある下蒲刈地区とほぼ同額の税金を納めており、戦後の教育改革によって中学校建設問題が持ち上がり、中学校が下蒲刈島村三之瀬に建設されるのであれば、いっそ分村して独自に役場・中学校を持とうということになった。
1956年
町村合併問題が持ち上がり、上蒲刈島村、向村、下蒲刈島村は蒲刈町となるべく計画を進めた。
三か村とも合併後の新町の役場を自村に置くことをゆずらなかった。
向村と上蒲刈島村の首脳部が内密に会合をし、両者合併して、後で下蒲刈島村を吸収合併することに妥結した。吸収合併後、役場は向村に置くこととした。
しかし、下蒲刈島村は上蒲刈島村と向村のやり方に憤慨し、合併はしなかった。
2005年
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